目黒家住宅

 目黒家住宅は寛政9年(1797年)に11代五郎助が建てた割元庄屋(大庄屋職)の役宅やくたくをかねた豪農住宅です。豪雪地帯の農家の特徴を備え、近世村役人層の典型的な住宅として貴重な遺構となっています。
 表の旧会津街道に沿って石垣を築き、冠木門かぶきもんを設けるなど中世武士の館を思わせる屋敷構えです。
 主屋おもや茅葺かやぶき寄棟造よせむねづくり  桁行16間、梁間6間。正面の表中門ちゅうもんは入母屋造もやづくりで、懸魚げぎょのつく千鳥破風ちどりはふの屋根は役宅に威厳を添えています。隣接する銅板葺、寄棟造の建物は、目黒家最盛期の明治34年(1901年)に建てられた「離れ座敷」です。
 邸内には現存する中蔵なかぐら新蔵しんぐらの他、かつては籾蔵もみぐら、米蔵、みそ蔵、酒蔵、醤油しょうゆ蔵などがあり、今もその跡をとどめています。また随所に見られる石橋、石段等の石造物も往時をしのばせています。
 主屋の構造は上屋じょうや下屋げやからなり、屋根裏の小屋組こやぐみは太い丸太を組む叉首組さすぐみはりつかを組み重ねる二重梁からなります。この小屋組と太い上屋柱、梁、指鴨居さしがもい、敷居が茅葺の大屋根を支え、3メートルを越す豪雪に耐えて、創建当時の姿を今日に伝えています。
 主屋は表中門の玄関から入ると、土間、大火棚が吊るされた炉地ろじ、まわりには控の間、不寝番の部屋、馬屋、カチャ、下流場しものながしば、奉公人部屋などがあります。
 土間から高い敷居を越え、茶の間に上がる。囲炉裏いろりが上手は仏間、左手は番頭が帳付けをした広間と寝部屋の番頭部屋があります。次のやりの間は槍掛があり、表には式台しきだい状の縁が張られています。藩の役人はこの縁から槍の間、中の間、奥座敷へ通されました。
 座敷から畳廊下の小座敷こざしき越しに望まれる中庭は、江戸時代後期の築庭とみられる池泉回遊式庭園です。山手には内鎮守ないちんじゅ石動社いするぎしゃがあります。飛石、瀧、三尊系石組が自然との調和を見せています。稲荷いなり社の奥手には枯山水かれさんすいの石組もうかがえます。
 奥座敷の裏手は家族の寝室や居間として使われた奥寝間おくのねま新寝間しんねまがあります。
 離れ座敷の『椽亭ちょてい』は茶室、大床、書道院等を備え、建材は各地の銘木を用いています。座敷からは池泉庭園が眺めをさそいます。